新海薬局の歴史

新海薬局の歴史

初代 新海 熊太朗

初代 新海 熊太朗

新海薬局 創業者
明治20年1月12日 生

沿革

明治44年2月~45年1月 東京市本郷区 湯島天神中西薬局内に薬局開設
明治45年4月 甲府市柳町 株式会社奉天堂内に薬局を開設
同社常務取締役に就任
大正4年6月 甲府市愛宕町に薬店出店
大正12年 東京市中野 鍋屋横町に山海堂薬店出店
大正15年8月 現在地に新築出店
昭和4年5月 商号を新海薬局と改称
昭和41年1月24日 熊太朗死去(79歳)
以後、照男経営承継、浩江薬局開設

概要

熊太朗は薬剤師を志し、明治42年3月に城南薬学校(後に東京慈恵会医科大学へ統合)を卒業、明治43年4月に薬剤師国家試験に合格する。その後、東京市や甲府市の各地に薬店を出店、大正15年8月に現在地に出店し、昭和4年5月に商号を新海薬局と改称する。
熊太朗は薬局製剤を得意分野として薬局運営に当たってきたが、特に医薬分業を推し進めることを関係当局に申し出ていた。

家紋

家紋
(丸に木瓜)

昭和5年代の甲府前通り風景

昭和5年代の甲府前通り(現平和通り)

昭和13年の新海薬局

薬局(昭和13年)

昭和15年の新海薬局兼住居

新海薬局兼住居(昭和15年)

昭和18年の新海薬局

薬局(昭和18年)

昭和9年の謝恩碑前

謝恩碑前(昭和9年)

昭和37年の新海薬局内

新海薬局内(昭和37年)

2代 新海 浩江

2代 新海 浩江

昭和13年3月7日 生
星薬科大学卒
薬剤師

概要

不治の難病で、38歳の若さで亡くなった浩江の母。将来は母のような難病を治す薬を作りたいという想いから星薬科大学に入学。卒業後、薬剤師国家試験に合格し、薬局業務に従事。熊太朗から浩江に薬局が引き継がれたのち、昭和47年から、辻保順医院が山梨県下では初の全面的な医薬分業を実施するのに対応して、同医院の処方箋調剤を行い、初代熊太郎の念願を果たした。その後、全国どこの病医院の処方箋も対応できるよう、体制の充実を図り、今に至る。

新築工事完成

新築工事完成(昭和42年)

薬局前(昭和44年)

薬局前(昭和44年)

3代 丹沢 仁美

3代 丹沢 仁美

共立薬科大学(現慶應義塾大学薬学部)卒
日本薬剤師研修センター 認定薬剤師
臨床検査技師
介護支援相談員
オンライン診療に伴う緊急避妊薬研修修了薬剤師
ナチュラル&ミネラル食品アドバイザー

新海薬局について

新海薬局についての詳しい詳細は「薬局案内」「スタッフ紹介」をご覧ください。

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